オタクのお気持ち表明って言ったらはてブだろ

どうも、VTuberを応援してる一介のオタクです。

今回このような文を認めさせて頂いたのは他でもない。何やらオタクたちの間で、卯月コウに関するnote合戦が起きているという情報をキャッチした。

 

乗るしかない このビックウェーブに

 

と思い、noteを利用しようとしたのですが、極度の機械音痴によりnoteを使うこともできず、敢えなく手に馴染むはてなブログにてこの文章を書いている。

 

今は消えた某note、ある卯月コウに関するnoteを読んだ。内容はまあよくある界隈を去る時に捨て台詞を吐いて出ていくオタクの主張だ。ありがちな文章ではあったが、その熱量は多少の人間の心を揺さぶる力があったようで、小規模ながら1つの話題のタネになっていた。

 

ではなぜ消えたか?理由は明白で批判を浴びたから消した。まあこれもありがちだ。強い言葉を使って誰かを批判するのならば、誰かの目に留まり逆に批判の的になってしまう。インターネットでよく見る光景だ。

 

じゃあなぜそんな“ありがち”に対して文字を起こそうと思ったか。それはその4000文字程度の文章から、弱さと儚さと悲しさと熱さのような魂が感じられた、ような気がしたからだ。

 

鬱屈とした自分の感情をどうにか形にして少しでも誰かに自分の感情を理解して欲しい、そういう熱意を文章の節々から感じ取れた。無論明記されていない著者の感情を汲み取ろうとする行為は傲慢なのかもしれないし、そもそも私の勝手な思い違いかもしれない。

 

それでも多少なりとも他の人間に対して影響を及ぼしたのはその文章に魂が篭っていたように感じる。

 

私もその文章に心揺さぶられた1人だ。正直某noteの著者より数十倍も数百倍も卯月コウに向き合っていたという自負があるので、反論を提示するだけなら容易に出来たはずなのだが、単なる反論をさせない気持ちにさせたのは、彼の心の叫びを感じたからだ。

 

そんな文章が消えた。賛否の分かれる意見だったので批判が集まったのだ。

 

私はそれが悔しかった。確かに斜に構えた気に食わない文章ではあったが、同時に心の内側が垣間見える素敵な文章でもあったように思う。だから消して欲しくなかったなぁ…とも思っていたりする。

 

長い前置きになってしまったのだが、ここからが本題だ。

 

『卯月コウはお前のラジコンじゃない』

 

結局の所これに尽きる。卯月コウは配信も下手だし、本番で自分の実力を出し切る強いメンタルを持ち合わせてる訳でもない。ゲームも大して上手くなければ、誰もを魅了してしまうような圧倒的な歌唱力を持ち合わせてる訳でもない。きっと本人も思い通りにいってない配信だって多数存在する。

そんな卯月コウが視聴者の需要に対して完璧な正解を出してしまえるのなら、それはそれで卯月コウの需要を満たせていないような気がする。卯月コウが卯月コウである、彼が視聴者の需要に100%答える手段があるのならばこれしかない。

 

卯月コウが卯月コウであるからこそ、私は彼の心の内側から生まれてくる“何か”に対して大きな期待を抱いてしまうのかもしれない。

 

私は彼の心の底が好きだ。

 

(そういう意味でEgNは卯月コウから生まれた物というよりは魔界ノりりむの衝動とか熱い思いから生まれた物なので卯月コウの文脈で、卯月コウのバンド活動を非難してるのは凄い違和感がある。)

 

今の卯月コウへ不満のある人へ

長々とだらだらと書いたけどさ、今日の卯月コウに対して不満を持っている人間って、卯月コウを見なくなってしまった方がいいんだよね。多分そいつはこちら側じゃ満足出来ないような人間だと思うからさ。君が大きくなって思い出した頃、卯月コウを見返した時どんな気持ちを持っているか、それをまたnoteにでも書き留めてくれると私は嬉しいな。

 

 

乱文失礼致しました。